自分の写真が嫌い。
そう思っていると、写真を撮る機会が訪れるたびに嫌な気持ちになりますよね。
友人との旅行、学校の卒業式、家族でのお祝い事など、楽しいはずの瞬間にカメラを向けられると、サッと心が曇ってしまう…。
そして、写真を見ては「どうして自分はこんな顔なんだろう」と落ち込んで、せっかくの思い出まで嫌いになりそうになる…。
僕も、自分の写真が嫌いで、正直今でもあまり撮りたくないことが多いです。
でも、30年以上生きる中で心理学、特に「精神分析」や「認知行動療法」といった分野に出会い、自分のことを深く知ることで、ようやく心が少し軽くなったんです。
ここでは、そんな僕が学んできた中で、写真が嫌いなときに役立つと思った1つの考え方をご紹介するので、参考にしてみてくださいね。
なぜ自分の写真写りが嫌いになってしまうのか?その心理と原因

「自分の写真が嫌い」という気持ちと上手に付き合っていくために、まずは、なぜ僕たちがこんなにも自分の写真を嫌ってしまうのか、その背景にある心理と原因をご紹介します。
少し理屈っぽく感じるかもしれませんが、原因がわかると「嫌いなのは自分だけじゃなかったんだ」「仕方のないことだったんだ」と、少しだけ客観的になれて、心が楽になりますよ。
鏡の自分と写真の自分は違う
「鏡で見るとそこまで悪くないのに、写真だと別人みたいにブサイクに見える…」
これは、写真が嫌いな多くの人が抱く共通の感覚ではないでしょうか。
実はこれ、あなたの気のせいではなく、ちゃんとした科学的な理由があるんです。
ポイントは、心理学で「単純接触効果」と呼ばれるものです。
これは、「人は、繰り返し接するものに好意を抱きやすい」という心の働きのこと。
例えば、毎日聞いている音楽や、よく見かけるCMタレントに、いつの間にか親近感を覚えてしまうことがありませんか?
あなたが人生で最も多く見ている自分の顔は、鏡ですよね。
朝の洗顔、歯磨き、髪のセットなど、僕たちは毎日、鏡に映った自分の顔を見ています。
しかし、鏡に映る顔は、左右が反転した姿です。
一方で、写真に写る顔は、他人が見ているのと同じ「反転していない顔」です。
たまにしか見ないので、見慣れていません。
だから、写真で自分の顔を見た瞬間、脳は「あれ?いつも見てる顔と違うぞ?」と違和感を覚えてしまうんです。
この見慣れないことによる違和感が、「なんだか変な顔」「気持ち悪い」というネガティブな感情に直結してしまうことがあります。
信念による影響
もう一つの大きな原因が、心理学でいう「信念(ビリーフ)」の影響です。
これは、私たちが物事を認識するときにかけている「色眼鏡」のようなものだと思ってください。
私たちは、現実をありのままに見ているわけではありません。
心理学では、「私はこういう人間だ」「世界とはこういう場所だ」という、過去の経験から無意識のうちに作り上げられた強力な思い込み(信念)を通して、すべての物事を解釈していると考えられています。
僕の場合、かつては「自分はダメな人間だ」「僕には価値がない」というネガティブな信念を持っていました。
この「自分は価値がない」という色眼鏡をかけて自分の写真を見ると、どうなるでしょうか?
写真に写った自分のダメなところにばかり気づいてしまい、「ほら、やっぱり自分はダメなんだ」「こんな魅力のない人間なんだ」という、信念を証明するための“証拠”を探してしまうんです。
そのため、客観的に見ればなんてことない写真でも、自分のネガティブな信念を通して解釈してしまうことで、自分の写真が嫌いになってしまう、というわけです。
こうした信念は、多くの場合、幼少期の親との関係や、学校での経験などから形成されると考えられています。
例えば、親に褒められることが少なく、叱られてばかりだった経験は、「自分はダメなんだ」という信念につながりやすいです。
もしあなたが自分の写真を見て、過度に自分の欠点ばかりを探してしまうとしたら、それは単に写真写りが悪いのではなく、あなたの心が持っている「信念」という色眼鏡が、そうさせているのかもしれません。
もし、自分の写真以外にも、自分の嫌いなところが多い場合は、こちらも参考にしてみてくださいね。
自分を嫌いじゃなくなったけど、自分の写真は嫌いのままな理由

冒頭でお話ししたように、僕は心理学を学び、自分の「信念」と向き合うことで、「自分が嫌い」という状態からは抜け出すことができました。
自分の過去の言動も「あの時の自分は、ああするしかなかったよね」と受け入れられるようになり、生きづらさは、かなり改善しました。
でも、自分の写真が嫌いなことは、多少改善される程度でした。
相変わらず、カメラを向けられるのは苦手だし、自分の写真はできるだけ見たくありません。
自分を嫌いじゃなくなった今、なぜ写真だけは嫌いなままなのか?を、自分なりに考えてみて、2つの理由に思い至ったので、ご紹介しようと思います。
顔は変えられない
僕が自分を嫌いじゃなくなった最大の理由は、自分の内面、つまり性格や行動、考え方と向き合い、「これらは変えていける」と理解できたからです。
例えば、過去の失敗や未熟な言動を思い出しては「なんてダメなやつだ」と自分を責めていましたが、「過去は過去。その経験を活かして、これからの行動を変えていけばいい」と思えるようになりました。
行動や考え方は、未来に向かって自分の意志で変えていけるものです。
だからこそ、過去の自分を受け入れることができたんです。
しかし、「顔」はそうはいきません。
根本的な顔のパーツの配置や骨格は、自分の意志で「よし、明日から変えよう!」と思って変えられないですよね。
この「自分の意志では変えられないもの」という事実が、写真嫌いとして根強く残る原因なのではないか、と僕は考えています。
内面は受け入れられても、外面のコンプレックスは、僕にとっては、また別の話だったのかもしれません。
このように、変えられないものに対する一種の無力感や諦めが、「写真」という形で突きつけられるたびに、ネガティブな感情を呼び起こしているんだと思いました。
違和感が変わらない
もう一つの理由は、非常にシンプルです。
先ほどお話しした「単純接触効果」に繋がりますが、結局のところ、自分の写真を撮る機会、見る機会が圧倒的に少ないからです。
写真が嫌いだから、撮らない。
撮らないから、見る機会もない。
だから、たまに撮られた写真を見ると、いつまで経っても「見慣れない自分」への違和感が襲ってくる。
このループから抜け出せないからこそ、いつまでも自分の写真が嫌いなんだと思いました。
もしかしたら、インフルエンサーのように毎日何百枚も自撮りをして、自分の顔をあらゆる角度から研究し続ければ、この違和感は消えるのかもしれません。
写真の自分に「見慣れる」ことで、単純接触効果が働き、だんだん好きになっていく可能性はあります。
でも、正直なところ、そこまでして自分の写真嫌いを克服するエネルギーもなければ、願望もありませんでした。
だから、この違和感があることを前提として、じゃあどうすればカメラや写真ともう少し楽に関われるだろうか?と、考え方の方向性を変えることにしました。
続いては、その内容をご紹介します。
自分の写真が嫌いなときのカメラとの付き合い方

ここからが、この記事でお伝えしたい一番大切なことです。
それは、写真嫌いを無理に「克服」しようとせず、写真に対する「捉え方」を変えてみることです。
そんな、心が軽くなるカメラとの付き合い方をご紹介します。
僕が参考にしたのは、心理学の「リフレーミング」というテクニックです。
リフレーミングとは、ある物事を見ている枠組み(フレーム)を、別の枠組みで捉え直すこと。
例えば、「コップに半分の水」を見て、「もう半分しかない」と捉えるか、「まだ半分もある」と捉えるかで、気分が全く変わりますよね。
これと同じことを、「自分の写真」に対して行ってみることで、自分の写真に対する嫌な気持ちが、少しは和らぐはずです。
ここでは、リフレーミングを使った具体的な方法を3つご紹介します。
写真の目的を「思い出の記録」にする
今のあなたにとって、写真の目的は「自分の容姿をチェックするためのもの」になっていませんか?
そうなると、見るたびに自分のアラを探してしまい、落ち込んでしまいます。
このフレームを、「未来の自分への、思い出の記録」というフレームに付け替えてみてください。
例えば、友人たちとの何気ない日常を撮った一枚。
今のあなたは、自分の笑顔が引きつっていることや、髪型が変なことばかり気にしているかもしれません。
でも、20年後のあなたは、その写真を見て違うことを思う可能性があるのではないでしょうか?
もしかしたら、「ああ、この時、〇〇ちゃんとこんな話をして笑ったな」と、自分の顔の写りよりも、その写真に写っている時間、空間、人々のことを懐かしく思い出すかもしれません。
その時の写真は、思い出という認識になっているはずです。
このように考えるだけで、カメラを向けられた時の気持ちが、少しだけ前向きに変わることがあるかもしれません。
自分のためではなく相手のために撮る
「自分のため」と思うと、自意識が邪魔をして行動できないことでも、「誰かのため」と思うと、案外できてしまうことがありませんか?
例えば、家族や恩人、好きな人など、大切な人のためなら行動できることってありますよね。
この心理を、写真撮影にも応用してみるんです。
あなたが写りたくないと思うのは、「自分がどう見えるか」を気にしているからですよね?
その視点を、「一緒に写る相手のため」に切り替えてみるのです。
例えば、久しぶりに会ったおじいちゃん、おばあちゃんが「一緒に写真を撮ろう」と言ってくれた時や、卒業式で友人が「最後にみんなで撮ろうよ!」と言った時など、その言葉の裏には、「あなたとのこの瞬間を、思い出として形に残したい」という、相手の切実な願いが込められています。
それは、あなたという存在を大切に思っている証です。
その時に、「自分のため」と思うと恥ずかしいけど、「大切な人の思い出作りを、数秒間だけ手伝ってあげる」と考えてみてはどうでしょうか。
ほんの少しだけ相手の気持ちに応えることで、写真への抵抗が軽くなるはずです。
自分の写真を好きにならなくて良いと考える
最後に、これが最も重要な考え方かもしれません。
それは、「無理に自分の写真を好きにならなくていい」ということです。
僕たちは、「嫌い」の反対は「好き」しかない、と考えがちです。
そして、「写真が嫌いな自分」をダメだと感じ、「好きにならなければ」と自分を追い詰めてしまいます。
でも、この「0か100か」の思考が、自分を苦しめている元凶です。
「嫌い(-100点)」を、いきなり「好き(+100点)」にしようとするのは、途方もない努力が必要です。
目指すべきは、そこではありません。
目指すべきは、「好きでも嫌いでもない(0点)」というニュートラルな状態です。
僕自身、自分の性格を「大嫌い」ではなくなりましたが、「大好き」になったわけでもありません。
「まあ、自分にはこういう良いところも悪いところもあるよな」と、ただ事実として受け入れられるようになった、という状態です。
写真に対しても、同じです。
「私の写真は最高!」なんて思えなくていい。
「まあ、写ってしまったものは仕方ない」「これも人生の一コマだしな」くらいに、感情を乗せずに事実として捉える。
そう考えることでも、「嫌い」という強い感情が少し軽くなることがあるので、こうしたリフレーミングも参考にしてみてくださいね。
まとめ
今回は、自分の写真が嫌いで悩んでいる方のために、僕自身が心理学を学び、実践して楽になった考え方をご紹介しました。
自分の写真が嫌いになってしまうのは、「単純接触効果」という脳の仕組みや、過去の経験から作られた「信念」が影響している、とても自然な感情です。
決して、あなたが特別おかしいわけではありません。
そして、その気持ちを無理やり「好き」に変えようと頑張る必要もありません。
大切なのは、写真との「付き合い方」、つまり「捉え方」を変えてみることです。
写真の目的を、「容姿のチェック」から「未来への思い出の記録」にする。
「自分のため」ではなく、「大切な相手のため」に写ってあげるという視点を持つ。
「好き」になることを目指さず、「好きでも嫌いでもない」ニュートラルな状態を目指す。
これらのリフレーミングを取り入れることで、カメラを向けられた時の心のざわつきや、写真を見て落ち込む時間が、少しずつ減るかもしれないので、参考にしてみてくださいね。
参考資料
本記事を書くにあたり、下記の本を参考にしました。


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